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【この物語は2002年7月8日交通事故で他界したリツコとの記録です】
2002年6月4日(軽井沢にて)
今日はある目的の為にリツコと一緒に軽井沢に行きました。
それはリツコの夢だった「軽井沢写真館」で撮影することでした。
「軽井沢写真館」はアンティークなウエディングドレスでセピアの写真を撮影してくれます。
昔ながらの手焼きプリントで百年以上保存ができるといいます。
店頭にサンプルとして「キンキンケロンパ夫婦」の写真が飾ってあります。
軽井沢に何回も遊びに来ていたリツコは、この写真館がとっても気になりいつか自分も撮影したいという夢をもっていました。
その夢を叶えるために今日軽井沢にやってきました。
そして二人だけの結婚式の意味もありました。
まず衣装選びからリツコは一番人気の貴婦人のドレスを選びました。
ドレスに着替えるととっても魅力的でした。
さて、俺の衣装はというとなんと男子は種類がありません。
「姿三四郎」の衣装しかありませんでした。
下駄、袴というスタイルです。

「看板力」は所長が気になる看板を撮影して掲載します。
都心が多くなると思います。
撮影場所:渋谷東映
看板タイトル:映画 ブレイブストーリー
※人気ですね。
ストーリーは、
ワタルはどこにでもいる平凡な11歳の少年。
ある夜、親友のカッちゃんとふたりで幽霊ビルの中を探検をしていたワタルは、階段の上に浮かぶ奇妙な扉を見つけ、その中へ入っていくミツルの姿を目にする。
ミツルは、成績優秀、スポーツ万能、おまけにルックスもいいと評判の隣のクラスの転校生。
女の子に騒がれても、笑顔ひとつ見せないクールで大人びた少年だ。
「あの扉の向こうには何かあるの?」と問いかけるワタルに、ミツルは真顔でこう答えた
「扉の向こうに行けば、運命を変えられる、ひとつだけ願いが叶うんだ」
いつもと同じように始まった一日が、いつもと同じように終わっていたら、ワタルはその扉を開けることはなかったかもしれない。
しかし、ごく普通の平凡な幸せは、何の前触れもなく突然崩壊した。
大好きだった父親が、家族を捨てて家を出ていってしまったのだ。
あまりのショックに母親は倒れ、救急車で運ばれていってしまう。
慌しく病院の奥へと運ばれて行った母親の姿を見つめていたワタルの胸に、ひとつの思いがこみ上げた
「こんな運命、間違ってる!」
その時、「運命を変える」というミツルの言葉が、ワタルの脳裏によみがえった。
その言葉を信じ、ワタルは幽霊ビルへと向かったのだった。


「看板力」は所長が気になる看板を撮影して掲載します。
都心が多くなると思います。
撮影場所:渋谷東映
看板タイトル:映画 バルトの楽園
※マツケンさん出演
楽園はがくえんと読みます。
ストーリーは、
1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。
ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。
厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。
板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。
捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、さらにはビールを飲む事さえ許された。
また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。
自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。


【この物語は2002年7月8日交通事故で他界したリツコとの記録です】
2002年6月1日(運動会)
今日は息子の学校の運動会です。
早朝席取りに行きました。
高崎からリツコ一家が弁当持参で来てくれました。
息子は期待に応えられず、徒競走ではビリでした。
昼食の時間になり弁当を食べました。
手作りの弁当なんて久しぶりで感動しました。
息子の活躍は全く無いまま運動会は終了しました。
こんな運動会を見るためにわざわざ高崎からでてくるなんて・・・。
と思ったに違いありません。
家に帰ると息子の同級生が大挙押し寄せました。
いつも溜まり場になっているからでしょうか・・・。
同級生らは、リツコと息子達の存在を不思議に思っていました。
親戚という説明をしました。
リツコは翌日用事があったため、今日は日帰りです。
あわただしく一日は過ぎて行きました。

【この物語は2002年7月8日交通事故で他界したリツコとの記録です】
2002年5月25日(リツコ帰京)
結局息子は一口も口に入れませんでした。
食べるとお別れということがわかっていたからです。
「来週は運動会だからリツコにお弁当をつくってもらってきてもらうんだよ。」
と息子にいうと、食欲が出てきたようです。
しかし、時間なのでレストランから出ることになりました。
有楽町で別れることにしました。
息子はとっても寂しそうでした。
2002年5月28日
今日は高崎でリツコとデートです。
今日はリツコを驚かせることがあります。
リツコは髭が好きではありませんでした。
俺はずっと髭を生やしていました。
でも今日朝髭をそりました。
若返った気がしました。
俺の顔を見たリツコはびっくりしていました。
今日は「ココボムカフェ」に行きました。
ここはリツコがコンパで使う店でした。
従業員に「新しい彼氏?」とつっこまれていたリツコでした。

【この物語は2002年7月8日交通事故で他界したリツコとの記録です】
2002年5月25日(リツコ上京)
リツコと俺は一安心です。
夕方になりそろそろ帰る時間になりました。
お土産を選びました。
「あざらしの抱き枕」にしました。130センチくらいあるでしょう。とっても大きいです。
それをひとり一個買いました。
帰りの電車では不思議な集団になっています。さらに場所を取って邪魔な人たちです。
横浜に立ち寄り食事をして帰りました。
出だしは不調でしたがなんとか一緒に帰ってこれました。
家に無事に着きました。
子供達は疲れて寝てしまいました。
俺とリツコも疲れがどっとでました。
お酒を少し飲みました。
やがて二人はリビングのソファーで愛し合いました。
そこでハプニングです。
避妊具が子供達の寝室にあるので取りにいけませんでした。
コンビ二に買いにいくのもしらけることになります。
そうこうしているうちにリツコの下の子が寝ぼけながらリビングにきました。
2002年5月25日(リツコ帰京)
朝になりました。
昼食を一緒に食べてそのままリツコ達は高崎に帰ることになりました。
有楽町のバイキングレストランに行きました。
ここでもわが息子のわがままが始まりました。
「食べたくない。」と言っています。

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